桃色核電波

俺はな、インターネットメンヘラ芸人を10年やってんだ。

ブチ切れのススメ

 

私の事を見放した上司、愛してくれなかった男、何も言わず離れていった友人達、あの日私を置いて出ていった母親に重なってしゃーない!!!

 

 

こんにちは、のあぴです。

いきなり心の声を露わにしてしまいました。誰にも聞かせたことなかったのに。ちなみに冒頭の心の声は今回の議題にぶっちゃけそんなに関係ないです。相手に弱みを見せた方が親近感が湧くって心理学の本に書いてあったので実践してみました。

 

大人になるとあまり人って怒ってくれないじゃないですか。特に顕著なのは女の上司。女性の職場の場合何かやらかしたとしても口では大丈夫と言いつつ裏で悪口言いまくってるのがよくあるオチです。じゃあなんで怒らないのかって、多分面倒くさいからだと思うんですよね。怒るとか泣くとか、マイナスな感情を露わにするのって疲れる。さらにその後のフォローを考えるともっと疲れる。

 

つまり感情のコストがかかるのです。こうして大人になるにつれ人は感情のコストカットに成功し当たり障りない会話の連続で人生というゲームのターンを終えているわけで。もしくはコストをかけて感情を相手にぶつけても得られるものがなかった場合が面倒なので最初から話すことを諦め妥協している。このパターンもあるかと思います。まさしく私がこれ。妥協に妥協を重ねたキメラ、それが私。

 

「のあちゃんはもっと喜怒哀楽出した方がいいよ」

これは私の事をよく指名してくださっていたお客さんが言っていたことです。

「のあはうるさくないからめんこい、猫と同じ」

これは親戚のおじさんが言ってました、にゃ〜ん。

私は見た目や話し方もふんわりしているように感じられるためあまり喜怒哀楽や波がないように捉えられがちです。

 

私もこれまで人生においてコストを削減してきました。私ひとりが我慢すれば済む、私が悪い、ここで怒るのは効率が悪い…結果、そこに何が残ったでしょうか。

私の個人の意見ですが、そこには何も残っていません。職場も友人も恋人もコストと共に消えていきました。あと思い出も。

 

しかし2、3年ほど前でしょうか。当時同棲していたサラリーマンが何をどう伝えても食べ終わった食器は机の上に置きっぱなしだし空の炊飯ジャーもそのまま、挙句よくわからんセフレみたいな女と電話しながら2人でゲームを楽しんだりととにかくしょうもない奴でした。

 

「1回あんたがブチ切れてわからせるしかないよ」

と母に言われ私は最後の切り札、ブチ切れを発動させることになったのです。

 

空の炊飯ジャーの中に乾いた米が付いているのを見つけては机を蹴り、Switchのフレンドからその彼女の本名にちなんでちょよと書いてある女のアカウントを削除し、最終的には彼の家のソファーに包丁を突き立てて彼の家を飛び出すという暴君っぷりを見せつけることに成功しました。

 

以降、彼から復縁の申し立てがあれど断り私は付き合っていた頃は完全になめられていたんだなぁとしみじみ思うようになりました。そしてまたそのことに対して怒りが湧くのでした。我思う故に怒りありといったところでしょうか。

 

一億総コストカット社会(今名付けました)に生きる皆さんも、ここぞというところでブチ切れてみてはいかがでしょうか。私は最近怒った時に大声をあげる癖がついたせいで怖い夢を見た際叫びながら起きることが格段に増えました。ムカつきますね。

ではまた次回。アデュー。